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東京地方裁判所 昭和52年(合わ)84号 判決 1979年5月30日

被告人 吉田稔一

昭一九・一・二三生 無職

我妻正美

昭一八・九・二二生 無職

主文

被告人吉田稔一を懲役四年に、被告人我妻正美を懲

役三年六月に各処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各四〇〇日を、

それぞれの刑に算入する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は、世界革命戦争の最前線を担う国際非合法党派たるべく結成され、その基本組織として最高機関である政治局(「フロント」)、軍事組織であるエル・ゲー(RG)を有し、政治軍事路線として遊撃戦により米軍、自衛隊、機動隊等をせん滅することを中心としながら日本帝国主義の国家機構のすべてを破壊することを目指す共産主義者同盟(RG)(別称共産主義者同盟赤報派)の構成員であつて、被告人吉田は同派軍事組織単位RGの一つである暗号名「西本監督」の隊長、被告人我妻は右「西本監督」の隊員であるが、同派政治局員小山こと坂井與直と共謀のうえ、将来同派が遊撃戦を行なう際の準備として、治安を妨げかつ他人の身体財産を害する目的をもつて、昭和五一年五月上旬ないし中旬から同年一〇月一四日までの間、東京都目黒区祐天寺二丁目二〇番四号山本荘二階の高村清純方において、爆発物であるピクリン酸約二、三〇一・三グラム並びに爆発物の使用に供すべき器具である塩素酸カリウム一二四グラム、ニトロセルロース二〇二グラム、鉛筆補助軸二五本、ニクロム線一七本、乾電池二〇本、電池ホルダー七個、リード線一巻(四・一四メートル)及びスイツチ二五個を一括して隠匿所持したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

一  罰条

包括して刑法六〇条、爆発物取締罰則三条(懲役刑選択)

一  未決勾留日数の算入

刑法二一条

一  訴訟費用の負担

刑訴法一八一条一項本文、一八二条

弁護人らの主張に対する判断

一  弁護人らは、本件ピクリン酸は爆発物取締罰則三条にいわゆる爆発物でないと主張し、その理由を別紙弁論要旨第二のとおり陳述した。

しかし、起爆装置のない爆薬が、爆発物取締罰則三条の爆発物に該当するためには、犯人の手許に起爆装置を容易に完成しうるだけの材料工具が準備されていることを要するとの点については、弁護人引用の最高裁昭和五〇年四月一八日判決要旨第二にむしろ反するに近いものであつて採用し難い。

また爆発力の点については、関係証拠によれば、被告人らが高村方押入れ天袋にポリ様袋等に分包して一括保管していた粉末状の本件ピクリン酸は、その重量が合計約二、三〇一・三グラムにも及んでいること、右ピクリン酸はきわめて良く乾燥しており(ピクリン酸は湿潤しているものを除き爆発性を有し、その爆発効果は乾燥度が高まるにつれ大きくなる。)、かつ純度の高いものであること、文献値によりピクリン酸の威力を他の爆薬と比較すると、比重一・六三の松ダイナマイトの爆速は秒速約六、六四〇メートル、比重一・〇五のカーリツトの爆速は秒速約三、八八五メートルを示すのに対し、ピクリン酸は比重一・六四(よく圧縮された状態)で爆速毎秒約七、〇六九メートル、比重一・〇(特に圧縮をしていない状態)でも爆速毎秒約五、一二〇ないし五、二二〇メートルを示すこと、警視庁科学検査所第一化学科副参事宮野豊が、本件ピクリン酸のうち一五・一グラムをアルミ箱という耐圧性の乏しい薬包に入れ、特に圧縮せず、かつ薬包の上部を開放にして、六号電気雷管を用いて爆発させ、カスト猛度計によりその猛度を実測したところ、一立方センチメートル当り約七八〇キログラムもの圧力を示したこと、また同人が本件ピクリン酸のうち約一〇〇グラムをビニール袋というやはり殆んど耐圧性を有しない容器に封入しこれを厚さ五ミリメートルの鉄板上に置き、六号電気雷管を用いて爆発させたところ、右鉄板に深さ約五ないし六センチメートルの半球状の窪みを生じたことなどの諸事実が認められ、さらに、爆薬の威力等に関する専門家でかつて軍用火薬としてのピクリン酸を取扱つたこともある鑑定人福田寛雄は公判廷において、「粉末状ピクリン酸は雷管を用いれば裸薬でも爆発し、しかもその量が多ければ、一部飛散することを考慮に入れても、人を殺傷し建物を破壊する威力を発揮しうる。そしてピクリン酸二、三〇〇グラムという量はこの多いという部類に属する。」旨供述している(第二一回公判調書)のであつて、これらを総合考慮すれば、本件ピクリン酸は爆弾容器に封入されず、粉薬のまま所持されていたとはいえ、すでにその状態で爆発物取締罰則の爆発物と認めるために必要な破壊力を持つ爆発現象を優に惹起しうると認定できるから、弁護人らの主張は理由がなく、採用できない。

二  弁護人らは、本件の塩素酸カリウム一二四グラム、ニトロセルロース二〇二グラム、鉛筆補助軸二五本、ニクロム線一七本、乾電池二〇本、電池ホルダー七個、リード線一巻、スイツチ二五個は、爆発物取締罰則三条にいわゆる「爆発物の使用に供すべき器具」ではないと主張し、その理由を別紙弁論要旨第三のとおり陳述した。

しかし、所論は、その引用にかかる木宮高彦著特別刑法詳解第一巻中「爆発物取締罰則」三五六頁の「爆発物の使用に当り特段の意義があるものであることを要する」との部分のみに基き、その前段の「単に補助的あるいは媒介的なものでも差支えないであろう。」とする部分を無視し、かつ根本的には、前記最高裁昭和五〇年四月一八日判決において、供用器具に雷管等起爆装置が含まれ、それが独立の処罰対象になるとの趣旨が述べられているのを、供用器具とは雷管等起爆装置のみを意味するものと独自に解釈し、結局爆発物取締罰則三条の罪が成立するには、爆発物自体に起爆装置は付されていなくとも、「其の使用に供す可き器具」と相まつて起爆装置を完備しうることが必要であることを意味するかの如き独自の理論に立脚しているものと思われ、採用の限りではない。もちろん、完成された起爆装置を所持することは起爆装置の一部を所持するよりも、爆発物使用の実行をより容易ならしめるという意味で違法性もより大きいであろうが、所詮、使用に供す可き器具のみを所持し、爆発物を所持しない場合でも、処罰するのが同条の趣旨であることを考慮すると、同条においては、単に治安を妨げ人の身体を害する目的による行為の予備というよりは狭く、その目的が、当該供用器具の所持、製造、輸入という形で具体化された予備のみを処罰するというにとどまり、供用器具の所持が即時爆発物の使用に直結するほどに使用に近接した予備をのみ処罰しようとするものではなく、したがつてその器具が、本来の性質上爆発供用器具であろうと、用法上のそれであろうと、あるいは爆発現象を惹起するために爆薬に次ぐ重要な機能をもつ完成された雷管であろうと、補助的機能をもつにすぎない導火線や雷管の材料であろうと、それらを一切区別しないものと解すべきである。

しかるところ、関係証拠によれば、犯人らが本件ピクリン酸とともに一括所持していた判示塩素酸カリウム、ニトロセルロース、鉛筆補助軸、ニクロム線、乾電池、電池ホルダー、リード線、スイツチは、いずれも、爆発物を爆発させるための手段たりうると認められる。(なお、被告人らの所属する共産主義者同盟(RG)によつて敢行されたか否かは別として、かつて発生したいわゆる五本木派出所事件及びその一週間後に発生したいわゆる外務省研修所事件において、それぞれ仕掛けられた時限式ピクリン酸爆弾の構造並びに第六、七回公判調書中の証人大野庄二の供述記載等に照らすと、本件犯人らは、塩素酸カリウムを起爆薬に添加する酸化薬として、ニトロセルロースを起爆薬を加熱する発熱薬として、鉛筆補助軸を起爆薬を充填する雷管管体として、ニクロム線を雷管に差し込む電気発熱線として、乾電池を右発熱線の電源として、電池ホルダーを右電源の固定装置として、リード線、スイツチを右発熱線と電源とを接続する電気回路として、いずれも爆発物を爆発させるために使用しまたは使用せしめることを予定していたものと認められる。)

なお、押収にかかる電池二〇個中には電圧の低下したものも認められ、第二〇回及び第二二回公判調書中の証人石田博の供述記載によれば、それら機能の低下した電池の大多数は、その三本の直列と一オームのニクロム線の連結によつては、塩素酸カリと砂糖の混合物を発火させる能力のないものではなかつたかという疑いが生じさせられるけれども、これらの電池といえども、他の新品電池との組合せ(本数も、直列並列も限定されない)如何により、また抵抗値の異なる発熱体(ニクロム線に限定されない)との組合わせ如何により、また被加熱薬品の種類によつても、その発火が不可能ではないことは理論上推定されるところである。所論は、ここにおいても、犯人が現に所持している器具のみで爆発現象を惹起しうる器具が完成されるべきであることを前提としているもので、相当でない。

したがつて、弁護人らの主張は採用できない。

三  弁護人らは、本件においては、爆発物取締罰則三条(一条)にいう「治安を妨げ人の身体、財産を害せんとする目的」は存在しなかつたと主張し、その理由として別紙弁論要旨第四のとおり陳述した。

しかし、その目的の内容として、日時、場所、方法の具体的認識までも必要とするか否かについては同罰則三条が予備的段階を処罰するものであることや他の刑罰法規における主観的違法要素としての目的の解釈例等に照らし、消極に解すべきである。(なお本件においては攻撃目標の種類は確定していたのであり、前掲最高裁昭和五〇年四月一八日判決の事案も加害目標が種類のみ確定しその余は具体的に定まつていなかつたが、その場合でも三条が成立することにつき、その原判決理由五、六参照)

また、本罰則三条の予備行為として処罰されるのは予備行為者自身が爆発物を使用する目的であつた場合のみであるか否かについては、これを消極に解すべきことは、前掲最高裁昭和五〇年四月一八日判決のとおりである。

また被告人ら自身に前記の目的があつたか否かの点については次項四においてあわせて検討するので、本項においては、その前提となる共産主義者同盟(RG)の党派としての目的を検討すべきところ、押収してある「今回<M―伊>の件に関連して西本の問題点」と題するメモ(前同押号の一〇)、「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモ(同押号の一一)、「P通8号」と題するメモ(同押号の一二)「P通8への解答」と題するメモ(同押号の二五)の各記載及び第一〇、第一一回公判調書中の証人高村清純の供述記載ならびに第二三回公判調書中の各被告人の供述記載によれば、被告人我妻及び田中正治、坂井與直は共産主義者同盟(RG)の忠実な活動家であることが明らかであること、押収してある赤報一ないし一〇、一二、一五号(同押号の一三ないし二四号)、赤報一八号(同押号の二六)、「現情勢と党の任務」と題する書面(D項(2)(3))の各記載を総合すれば、共産主義者同盟(RG)は、昭和四六年一一月五日世界革命戦争の最前線を担う国際非合法党を目指して結成され、非合法軍事部門であるRGを組織化したこと、同派は爆弾銃器等を使用して行なう遊撃戦により、米軍、自衛隊、機動隊等をせん滅することを中心的手段として、日本帝国主義を打倒する武力革命路線をとつていると認められること、昭和四七年六月一五日当時(赤報四号)において、警察官を射殺したいわゆる浅間山荘事件、機動隊員に爆弾を投げつけたいわゆる明治公園事件を賞讃し、敵の生命不尊重を公言し、昭和四八年四月当時(現情勢と党の任務)において、一九六九年~一九七二年の各革命戦争の経験を普及させ、ブラツクパンサー、アラブゲリラの国際経験に学び、武装闘争を清算しようとする傾向と闘うことを任務と規定していること、第一〇、一一回公判調書中の証人高村清純の供述記載によれば、同派の幹部である田中正治、坂井與直は昭和四八年以後もピクリン酸を継続的に入手し備蓄したと認められること、そして本件各物件は同派の幹部である坂井與直とRGである被告人我妻から保管を委託されたものであること、第二二回公判調書中の証人高村清純の供述記載および押収してある「調理法」と題するメモ(同押号の二七)、「P通8への解答」と題するメモ(同押号の二五)の各記載によれば同派ではピクリン酸の製造すら実施しまたは実施しようとしていたと認められること、高村清純が右のとおり同派から保管を依頼された本件物件は、前記一に説明したとおり、強力な爆発物である水分含有率〇・一%のピクリン酸二キログラム余と、乾燥させれば直ちに強力な爆発物となりうる水分のやや多いピクリン酸約三キログラムといずれも多量(過去のピクリン酸爆弾の実例にあてはめると二〇ないし三〇発分)であり、同時に保管を依頼された他の物件の存在は、前記二に説明したとおり、爆弾製造の材料と解するのが最も自然で、ほとんどそれ以外には考えられない情況にあること等を総合すると、同派において、遊撃戦とは米軍、自衛隊、警察等の諸施設または人員を破壊または殺傷することにより社会不安を惹起しようとすることであり、また遊撃戦に用いる武器としてはもつぱら時限式ピクリン酸爆弾を構想していたものと推定され、したがつて、同派の方針として、治安を妨げ人の身体財産を害する目的で本件物件を高村に保管させていたことは明らかであるといわなければならない。(なお同派が昭和四八年春ころ戦術的転換を行なつたか否かの点については、弁護人がその証拠とする赤報一八号、P通7号、P通8号の各記載に照らしても肯認し難いのみならず、作成の最も新しい「P通8への解答」と題するメモ(同押号の二五)の記載により認められるピクリン酸の製造機器、原料の隠匿を続行している事実と本件各物件を廃棄することが、警察の追求を逃れ、証拠をいん滅する最も簡単な方法であるのに、困難を犯して敢えて備蓄しているという事実、さらには、昭和四八年以降もピクリン酸を高村から多数回購入しており、昭和五〇年六月ころ以降これをやめたのも、いわゆる企業爆破事件以降高村の勤務先の薬品管理が厳重になつたという障碍によるもので、坂井の自発的意向によるものではないという事実等から、むしろ否定するのが相当である。)

四  弁護人らは、被告人らが本件物件の所持につき坂井、高村とはもちろん、被告人両名間においても共謀した事実はないと主張し、その理由として別紙弁論要旨第五のとおり陳述した。

よつて、まず被告人我妻と坂井、高村との共謀について検討するに、第一〇、一一回公判調書中の証人高村清純の供述記載によれば、高村清純は、被告人我妻及び坂井與直と親しい間柄であるうえ共産主義者同盟(RG)の思想に共鳴するいわゆるシンパの立場にあつた者であつたこと、坂井から昭和五一年九月ころまでマルクス・レーニン等の文献の講義をうけていたこと、臨床試薬の販売会社に勤務していた間の昭和四八年終り頃から昭和五〇年六月ころまでにかけて多数回にわたり、坂井らから乞われるまま同人らに対しびん入りのピクリン酸(合計四ないし五キログラム位)や水銀を不正に売却していたこと、昭和五一年四月末ころ坂井から面談もしくは電話で「我妻が君に話がある。」との連絡を受けたこと、その後我妻から「会いたい。」との電話があり、五月初めころ被告人我妻と喫茶店「パンセ」で会い、同人から「少しやばいものだが預つてほしい。白いものと黄色いものだ。」との依頼を受けたこと、右白いものとは塩素酸カリウムを、黄色いものとはピクリン酸を、それぞれ意味するものであつたこと、そして五月の連休で京都に帰省し戻つてきた後、五月五日から同月中旬までの間の休日に、再び被告人我妻と喫茶店「ロビー祐天寺」で会い、同被告人から「この前言つていた物だ。」「びんから出してビニール袋に移し入れてある。」(第一〇回公判調書中の証人高村の供述記載。ただし同証人は第一一回公判において「びんから出して」という部分は同証人の推測である旨訂正したが、右部分は第一〇回公判で念を押して応答された部分であり、第一一回公判における訂正は信用し難い。)「今まで置いてあつたところが『問屋』(警察)にマークされて危くなつた。預かつてくれ。」などと言われ、本件ピクリン酸等全物件の入つた黄白色手提袋、紺色手提袋各一個を手渡され、高村はこれを自宅に持ち帰つて押入れの天袋に隠匿したこと、その後同年六月一九日高村が坂井及び被告人我妻と喫茶店「ロビー祐天寺」で会つた際、高村が坂井に右物件の引き揚げを要請したところ、坂井から「組織に取り込みがあり、君のところはマークされていないのでもう少し預かつてくれ。」と返答されたことが認められ、他方、「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモ(同押号の一一)四頁以下によれば、昭和五一年四月末から五月初旬にかけて、警察の追及を避けるため、被告人らが加藤恵子方から一部捨て、一部を移動させた物件があり、その物件中には、ダンボールにしみ込み変色させた状況からピクリン酸の性質に符合するものがあり、洗つていない薬びんが一箱もあつたことは高村から買い受けたピクリン酸のびんが当然多数あつたことと符合するのであり、空の薬びんが危険な機器かどうかで政治局と被告人吉田との意見が食い違うことは、その薬びんがピクリン酸の空びんとすればありそうなことであり、最も危険な書類、薬品がピクリン酸の製造メモであり、ピクリン酸であるとすれば表現としても符号し、またこれら薬品を「麦」と表現しなかつたのは、ピクリン酸以外に各種の薬品があつたことから当然であるとも思料され、また他方、第七、八、九回公判調書中証人脇本義弘の供述記載部分、第八、九回公判調書中証人小林直文の供述記載部分、第一七回公判調書中証人谷浩治の供述記載部分をも総合すると、五月三日、被告人らが一旦蒲田駅コインロツカーに紙製手提袋一個、ビニール製紺(青)色手提袋一個を預けてあつたのを、未だ捜査員による張り込みの対象とされていないと判断していた被告人我妻宅に、尾行、張り込みに異常ともいえるほどの細心の注意を払いながら運び込んだこと、また同日捜査員の尾行を巻いて、夜、さらに紙手提袋一個をどこからか我妻宅に運び込んでいること、右紙袋の所持は、「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモ五頁の「Mの薬品つめかえ(ダンボールから紙袋へ)作業」とあるのに対応していること、また右手提袋のうちの一個である紺(青)色手提袋は重そうであつたとのことであり、被告人我妻がその後本件ピクリン酸等の入つた状態で高村に渡した手提袋二個のうちの一個である紺(青)色手提袋と同一物であつたこと、そして、右蒲田駅のコインロツカーは池上線と目蒲線とが合流するホームの一端にあり、前記加藤恵子宅は池上線の洗足池駅付近にあることが、それぞれ認められる。したがつてこれらの情況を総合すると、高村方で押収された本件物件は、被告人両名が四月三〇日ころ加藤恵子宅から紺(青)色手提袋と白い紙製手提袋に入れて運び出して一旦蒲田駅コインロツカーに納め、五月三日に蒲田駅から被告人我妻方へ運び込み、そこで白い紙製手提袋の内容物を黄白色のビニール手提袋につめ替え、紺(青)色手提袋とともに五月九日(もしくは一六日)に被告人我妻が高村に喫茶店「ロビー祐天寺」で交付したものとみるのが、最も無理のないところと思料され、これらの事実に、前記三掲記の各証拠によつて認められるとおり被告人我妻がRGの隊員であり、また前記三で認定したとおり同派が革命戦術としてピクリン酸爆弾による遊撃戦を採用している事実を総合すると、本件ピクリン酸等を高村方に隠匿保管するについては、被告人我妻の属する指揮系統の組織活動として行なわれたこと、したがつて同被告人と坂井が共謀していたこと及び被告人我妻が右手提袋の内容をピクリン酸、塩素酸カリウム、その他爆弾材料であることを認識していたことは明らかである。弁護人らは、坂井が組織的には別系統のRGの所持するピクリン酸等を、被告人我妻には内容を知らせず、ただ高村と被告人我妻とは古い友人関係にあつたため、坂井が被告人我妻に高村との橋渡しを依頼したということもありうると主張するけれども、これは前記「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモの記載にも反するうえ、当時坂井はなお高村に講義を続けていた関係にあつたから、右の理由ならば被告人我妻をあえて介入させる必要はなく、むしろ介入させない方が秘密は保たれるのであり、したがつて被告人我妻の属するRGに委任されていた物件であるからこそ被告人我妻を介入させたと考える方が自然である。もつとも「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモの記載としては、被告人我妻の役割は運搬だけが記載され、詰め替え等内容を知る機会のある役割は記載されていないが、警察を特に警戒すべき運搬者が内容を知らないというのも不自然であり、特に薬品の如き危険物については、移動中の事故発生を慮り、気心の知れたRG隊員たる運搬者にはその内容を知らせるのがむしろ当然である。現に、前示のとおり、被告人我妻は、内容を「白い物と黄色いもの」とか「びんから出してビニール袋に移し入れてある」と表現しているのである。したがつて右弁護人らの右反論も前示認定をゆるがすことはできない。

次に、被告人吉田も右共謀に参加していたか否かについては、前記三掲記の各証拠のほか、第七、八、九回公判調書中証人脇本義弘の供述記載部分、第八、九回公判調書中証人小林直文の供述記載部分、第一七、一八回公判調書中証人鷲見友明、同米山孝信、同谷浩治の各供述記載部分によれば、(1)被告人吉田は、爆弾を使用し警察官等を殺傷する等の遊撃戦を行なうとの、共産主義者同盟(RG)の武力革命路線に共鳴して、同派発足当時から長期間にわたり同派に所属してきた者で、同派の最高機関である政治局に直属し同派の行なう遊撃戦を担当する実戦部隊として設置されそれに相応しい教育と訓練を受けた者によつて構成されていると考えられる、同派RGのうちの一つ「西本監督」の隊長であり、同派内においてはごくわずかの人数の政治局員に次ぐ重要な地位にあり、他に職業をもたず同派の活動に専従してきたものであること、(2)被告人我妻は被告人吉田の指揮する右「西本監督」のただ一人の隊員であり、また坂井は同派政治局員であつて、昭和四九年四月以降前任の田中正治の跡を継ぎ右「西本監督」等の隊長を指揮していたものであること、すなわち、右坂井及び被告人両名の三名は一つの指揮系列上に連なり、被告人吉田は坂井の指揮を受け被告人我妻を指揮していたものであること、そして右三名は同志として強く連帯し、日ごろから緊密に連絡しあい意思統一を図りながら同派の活動に従事していたこと、(3)一般的にも、同派においては、RG隊員以上の者(その合計人数は明らかでないが、P通8への解答綴(同押号の二五)に綴られた通数からすると監督は一五前後であり、したがつてRG隊員以上の者は三〇名前後かと推測される。)は、いくつもの偽名を有し、偽名でアパートを借り、一般市民を装い、尾行に気を配り、また重要文書には暗号を用いるなどして秘密保持に努めるとともに、上位者は下位者の行動を詳細に把握していたものであり、このことは同派においては、RG隊員以上の者が党の目的遂行のため一心同体的に結束して活動しており、その活動のためには、政治局員でなくとも、同派の重要機密に深く関与せざるをえない構造であつたことを示し、またこのような者同士、特に素性を知り合つた同じ指揮系列上にある者同士であれば、外部に漏れるという危惧感を持つことなく容易に自己の知つている重要機密を話題となしえたことを示していること、(4)本件ピクリン酸等が高村方に隠匿されるまでの間に、本件ピクリン酸は高村を通じ同派内に備蓄され始めてから少なくとも二年以上経過しており、鉛筆補助軸、ニクロム線、乾電池等に至つては、乾電池の製造年月(昭和四五年一二月から昭和四六年九月まで)から推すと、五本木派出所に対し時限式ピクリン酸爆弾による武力闘争が行なわれた当時(昭和四六年一一月一七日)から同派内に備蓄されていたもので、すでに四年以上経過しており、同派内では当然情報は行き渡つていたものとみられること、そして坂井や昭和四九年四月以前、「西本監督」(但し、当時は「写真印刷」と呼称)の隊長である被告人吉田を指揮していた政治局員田中正治は、もとより本件ピクリン酸等が同派内に備蓄されていたことをその備蓄の当初より知つており、また被告人我妻は、本件ピクリン酸等を高村に手交する際「びんから出してビニール袋に移し入れてある。」と述べていることから明らかなように、ピクリン酸保管の態様を知つていたと推定されること、(5)「P通8への解答」と題するメモ(同押号の二五)において、被告人吉田は「麦の製造機器」ならびにその薬品(シヨウサン、リユウサン)の所在場所を報告しているが、このことは「調理法」と題するメモ(同押号の二七)の記載と合わせ考えるとき、同被告人がピクリン酸の製造機器、製造原料たる薬品の保管の責任も負わされていたことを示し、また「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモ(同押号の一一)によれば、加藤恵子に薬品の知識がなく、被告人吉田に薬品の知識があつたことから、わざわざ被告人が加藤恵子方に薬品の詰め替え、運搬に出向いているのであり、これに前記諸事情を考えあわせると、ピクリン酸など爆発物についての情報も、被告人両名及び坂井の三名間でとくに秘匿することなく連絡し合つていたものと考えられるのであり、特に上位者である坂井と下位者である被告人我妻の知つている同派内の爆発物に関する情報が、その中間位者で、被告人我妻の動静を刻明に把握し、指揮する立場にあり、薬品知識も豊富な被告人吉田に対してのみ秘匿されていたとは考えにくいこと、(6)坂井と被告人我妻は昭和五一年四月末ころ、捜査員により、被告人吉田や前記加藤恵子らに対する行動視察が行なわれていることに気付いた同被告人らからこの事実を知らされて、警察の手入れにより組織が壊滅的打撃を受けることのないよう各種危険物の移動隠匿を開始したものであるが、被告人吉田は、坂井と被告人我妻が本件ピクリン酸等の隠匿保管を高村に依頼すべく電話で接触を始めまた被告人我妻が喫茶店で高村と会つたりしていた同年四月末ころから五月始めにかけて、坂井と考えられる政治局員の指示を受け、被告人我妻と連日のように接触し、共同して、警察の手入れを受ける恐れのある前記加藤宅等から薬品等を運び出すなどの行動をとつていたこと、つまり、被告人両名及び坂井の三名は警察の内偵に気付いたのを契機にして、押収される危険性のある薬品等を他に移動させ組織を防衛するという共通の意思、目的のもとに同種の行動をとり、しかも相互に緊密な連絡接触を図つていたものであることなどの事実が認められる。(7)そして前記加藤方において、被告人吉田がつめ替えをし、被告人我妻とともに運搬した物件が、本件物件であるとみると、「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモの記載と客観的事実を無理なく説明しうることは、前記被告人我妻の共謀の有無に関し説示したとおりである。

もつとも、弁護人らは、被告人吉田が警察の内偵に気付いたのは、「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモ(同押号の一一)、「今回<M―伊>の件に関連して西本の問題点」と題するメモ(同押号の一〇)によれば昭和五一年四月二七日ころであり、第一〇回公判調書中の証人高村の供述記載によると、「本件物件を我妻から預つたのは昭和五一年五月の連休明けの休日で、同月初旬ないし中旬であり、その一週間ないし一〇日前に我妻からパンセ喫茶店で「やばい物を預かつてくれ」と頼まれ、さらにその一週間くらい前に我妻から「会いたい」と電話があり、さらにその二週間くらい前に坂井から「我妻が何か君に話があるらしい。そのうち連絡が行くだろう。」と話があつた。」というのであるから、坂井が本件物件の移動を思いついたのは四月初旬ないし中旬となり、被告人両名が警察の内偵に気付いて危険物の移動を開始したことと本件物件と全く関係がないと反論するが、月日や期間に関する人の記憶は、手がかりになる事象との関連がなければ極めて不正確なものであるから、右逆算方式は一見精密のようであるが極めて大きい誤差の危険を含むものであり、かえつて右高村証人の供述記載中、「本件物件を我妻から預かつたのは昭和五一年五月の連休明けの休日で、我妻から保管を依頼されたのは五月の連休で京都に帰つた日(五月四日)の前」という部分のみが確実なものとして基準となるべきであり、これを基準として、「預かる日の一週間か一〇日くらい前に我妻から保管を依頼された」という供述によれば、預つた日はおそらく五月九日か一六日(日曜日)と推定される。そして五月九日を預つた日と仮定し、同証人の右供述記載中、「坂井から話があつたのは預るだいたい二週間くらい前」という部分を「一〇日前後、前」と推定すれば、四月二八日前後ころに坂井から高村に話があり、数日して被告人我妻から高村に電話があり、さらに数日たつた五月一日ないし二日ころに被告人我妻と高村が喫茶店パンセで会い物件授受の日をきめ、五月九日にロビー祐天寺で物件を授受したと推定することも可能であり、さらに物件授受の日を五月一六日と仮定しても、右供述の期間に関する誤差の範囲内で各日時を矛盾なく推定することも可能である。しかも「この間の問屋との攻防に関して」と題するメモ(同押号の一一)によれば、「伊宅の機器に関して、移動ないし処理の必要を被告人吉田が感じてから政治局の決定をまつて被告人吉田が受取るまでに二週間程度たつている。」とのことであるから、坂井の動きが五月九日の二週間程度以前であることとも矛盾しないのである。

また弁護人らは、「P通8への解答」と題するメモ(同押号の二五)において、被告人吉田はその管理する危険物の現状を報告しているが、その中に本件物件の報告がないことは、同被告人が本件物件に関与していなかつたことを示すものであると反論するが、右メモ三枚目e項に記載されている「危険物についてはAグループ(伊の友人宅)に麦の製造機器並びに薬品(シヨウサン、リユウサン)をあずけてある。※ダンボール二つor三つ。これに関しては指揮系列の監督orフロントへ移行するか、西本監督の読者へ移動する必要がある。」との部分が、かりに、その主張のとおり、本件物件を高村方に預けてあることを意味しないとしても、報告を命じた坂井が自ら関与している本件物件について、被告人吉田があえて報告するまでもなかつたという見方もでき、またかりに、被告人吉田が政治局に対して責任を負う保管物件はピクリン酸の製造機器と製造原料のみであつたとしても、前記三において認定した同派の遊撃戦術からすれば、本件物件は、共産主義者同盟(RG)全体の武器であり所有物であるから、被告人吉田において本件物件の存在と用途を知り、共産主義者同盟(RG)の一員として党と一心同体の関係にあり、その詰め替え運搬等、隠匿行為の一部を分担した以上、被告人吉田は、政治局員坂井と共謀して本件物件を所持したものというべきである。したがつて、いずれにせよ、本件物件に関する、被告人らの爆発物取締罰則三条(一条)所定の目的による所持罪の共同正犯の成立は免れ難いといわなければならない。

(量刑の理由)

本件は武力革命を標榜する過激派集団に属する被告人らが、将来同派が行なう遊撃戦に備え、警察官、自衛官等を殺傷し、警察、自衛隊等の施設を破壊するなどして社会を混乱に陥れる目的で、爆発物であるピクリン酸を乾電池、リード線、ニクロム線等の器具とともに一括所持していた事案であるところ、右目的はきわめて非人道的で反社会性の強いものであること、右ピクリン酸は二キログラム以上もあり、社会に大きな被害をもたらしうるに足る量であることなどに照らせば、被告人らの負うべき責任は重いといわなければならない。

また、近年、いわゆる過激派集団による爆弾事件が頻発し、相当数の尊い人命が失われ、また社会的不安が醸成されたことは我々のいまだ記憶に新しいところであるが、このような近年の情勢、並びに、爆弾事件はその被害の甚大性に比し、隠密裡に計画実行されるためその事前の探知や事後における犯人の検挙がきわめて困難であることなどを考えると、かかる事件の再発を防ぐという一般予防的見地からも、被告人らに対し厳しい処断をする必要がある。

加えて、被告人らの当公判廷における態度をみると、被告人らは、「あらゆる困難を乗り越えて非合法党を建設しなければならず、非合法活動に習熟しなければならない。我々はこのことをこの裁判を利用しても宣伝し、煽動する。」などと主張し、自己の非を認めようとしていないのであり、このような罪障感を欠いた被告人らの態度からは、今後被告人らが同種犯行を繰り返すおそれも認められる。

そこで以上の事情を総合考慮し、かつ、他方において、本件ピクリン酸等が押収された当時、これらを使用する具体的な計画が立てられていたと認めるべき証拠は存しないこと、各被告人とも窃盗の検挙歴が一回あるだけで他に検挙歴及び前科を有しないこと、被告人両名は組織内において重要な立場にあつたが、最高指導者ではなく、また被告人我妻は被告人吉田の指揮下にあつた者であることなどの事情も斟酌して、主文の刑を量定した。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 森岡茂 畠山芳治 片山俊雄)

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